みんなどうやって生きてるの?

ちょっと精神に難のある人間がどうやって生きていったらいいのか。周りにひたすら答えを求める他力本願ブログ

予定された未来とそれに付随するしんどさについて

そういえば退院した。そしてグループホームに入所した。おめでとうございます。ぱちぱち。

まあそしていまは実家にいる。なぜかといえば祖母が死にそうだからだ。透析ができなくなったので、死にそうというか確実に死は決まっている。そう遠くない未来に。じりじりと祖母の命は削られていく。そして我々親族はそれを見ていることしかできない。さらにいえばコロナのせいで病室に長時間滞在するのが許されないため、見ていることすらできないのだ。

私も悲しいけれど母親の憔悴ぶりがひどい。せめて一緒にいてあげたいのにそれすらできないからだ。

そんななか私はといえば祖母を看取るイメージトレーニングを何度も繰り返している。次にあったらどうやって祖母を安心させる声をかけるか、亡くなる寸前にはどんな心持ちになるだろうか、周りの感情はどう変化するだろうか。通夜、葬式の準備はどうするか。さらには私の携帯の中にある祖母の写真を整理して、遺影に使えるかの確認をさりげなくした。ついでに加工もした。こんなことをする私は薄情な孫である。あんなに可愛がってもらったのに。

そりゃあ私だって悲しい。祖母のことは大好きだ。しかしわたしは祖母の子供ではないのだ。私の悲しみは母と比べるべくもない。だって私二親等だもの。兄が死んだ時もそうだったけど。一親等は動けないくらい辛いけど、二親等だもの。私は大丈夫、また動ける。どんなに悲しくても動ける。

明日どんな顔して祖母に会おうか。そもそも私を見てわかる状態にあるのか。泣かずに会えるかな。泣かずに会わないとなあ。大丈夫、そのために何度も想像したんだ。頑張るんだ。

ああ、またさよならを乗り越えないといけないかと思うと潰れそうになるね。いずれくるさよならと知ってはいてもいざくるととても辛い。さて、顔洗って寝るか。明日に備えて。